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自己啓発を今すぐやめよう!

自己啓発にのめり込んで人生をしくじった経験を教訓に、ゆるい生き方を実践中。日々のコトなど思いついたことを綴っています。

 

人のためになる仕事がしたいという立派な志の「危うさ」

 

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就活中の学生が「人のためになる仕事がしたい」なんて言っているのをよく見かける。一見すばらしい志を持っているように見えるけど、実は彼らは大きな勘違いをしている可能性が高い。なぜならば、世の中に人のためにならない仕事などないからだ。

 

彼らの考える「人のためになる仕事」とは

彼らにような人達に人のためになる仕事として認識されているのは医師や看護師などの医療関係、介護や障害者支援などの福祉関係、また警察官や消防士などがあげられる。確かにこれらは人のためになる、つまり人の役に立つ仕事であることは間違いない。

 

どんな仕事も人のため、人がいるから仕事ある

では、他の仕事は人の役に立たないのだろうか。もちろん答えはNoだ。例えば、道路工事だって、道路を利用する人にとってありがたい仕事だし、道路があるおかげで成り立っている宅配便などの物流業もなくてはならない職業だ。また工事といえば必ず警備員が配置されるが、その警備員がいるから交通が混乱せずにすむ。言うまでもなく、これらの職業は全て人のために他ならないし、確実に役に立っているのだ。

 

日々「ありがとうございます」と感謝されたい

では、なぜ学生は一部の職業を「人のためになる仕事」と勘違いしてしまうのか。まだ社会に出ていないから世間のイメージで判断してしまうこともあるのだろうが、恐らく彼らが考える「人の役に立つ仕事」とは「ピンチを救う」的なイメージなのでないかと思う。つまり「ありがとうございます」と日々感謝され、周りからも「立派な仕事をしている」と認められるような職業が彼らにとっての「人のためになる職業」なのではないだろうか。

 

 

ピンチを救う仕事は自己承認欲求を満たしやすい

もし、そうだとしたらそれはまた大きな勘違いをしていることになる。日々感謝され、社会からも評価されることが大事なら、それは人のためではなく自分のために働いていることになるからだ。つまり本当にその職業が人のためになっているかどうかは重要ではなく、自分の承認欲求を満たせそうな職業かどうかが基準となっているのではないだろうか。

 

人のために働くといつか必ず行き詰まる

実を言うと私は自分のために働くことに大賛成だ。むしろその方が、仕事も長続きすると考えている。逆に「人のため」が動機だと感謝されないと面白くなかったり、挙げ句の果てには感謝の押し売りをし始めて、さらに悪い方向へ進んでいくこともある。以前、”新社会人に送る「努力は報われない」という言葉”という記事でも書いたが、評価をご褒美として期待する努力はいつか必ず辛くなる。そんなことも含め、私は自分のために働いていると考えている方が健康的な気がするのだ。 


さいごに

ただ、私は「人のためになる」という気持ちを全否定しているわけではない。最初のきっかけとしては立派な働く理由だし、その後、自分のためだと気づいたとしても決して遅くはない。多分、私を含めたほとんどの大人は何年か働いてやっと自分のために働いているという当たり前のことに気づいたはずなのだから。