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自己啓発を今すぐやめよう!

自己啓発にのめり込んで人生をしくじった経験を教訓に、ゆるい生き方を実践中。日々のコトなど思いついたことを綴っています。

 

世の中のほとんどは好きか嫌いで決まっている

 

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今朝、ある業者からの見積り依頼を断った。理由は過去何度も見積した案件が決まった試しがないからだ。この業者とは数年来の付き合いになるが、見積依頼そのものが大雑把なものだから、毎回こちらが調べ物をして提案する形になる。その上、提出は毎回大至急だから手間ばかりかかり全く見返りがないことから今後お付き合いをするメリットはないと判断したのだ。

 

本当の理由は見返りがないことでない

しかし、改めて私がお付き合いをさせていただいている顧客を思い返してみると決して見返りがある企業ばかりではない。いや、むしろ件の業者の様に手間のかかる顧客が大勢いるのが実態だ。では、なぜ今朝、見積依頼があった業者だけを断ったのか。実は見返りがないこと以外に付き合いをやめた本当の理由があるのではないか。

 

 

判断基準は「好き」か「キライ」か

見返りや損得ではなくお付き合いをやめようと思う理由・・・結論から言うとそれはやはりその企業(人)が好きかキライかに尽きるのではないか。そして好きと感じたりキライと感じたりすることに理由はない。そもそも人間は感情で動いている動物だから、例えば「あの人の言葉使いが気に入らない」などの理由があったとしてもそれはあくまで後付けの理屈だ。

 

感情で動く人、理性で動く人

感情のままに行動する人を「あの人は素晴らしい人だ」と賞賛する人は少ない。それどころか社会に出ると自分の感情は押し殺し、チームのためになることが優先され、常に理性的な行動や言動が出来るの人が立派なオトナであるというのが昔から変わらない日本人の美徳だ。しかし、本来人間という動物は感情で動いている。生命維持に関わる本能的な部分以外ではすべて感情がきっかけで行動していると言っても過言ではない。

 

欲求を抑えきれない自分を正当化するための購入理由

例えば新型のiPhoneが「欲しい」と思い「今より電池が長持ちするなら」と購入を決めたとしよう。この場合購入した理由は電池が長持ちするからということになるが、実際にはその前に「欲しい」という感情(欲求)が働いている。しかし「欲求のままに欲しいものを買ってしまうのは良くないこと」と理性が働き、自分や周りを納得させられる理由(言い訳)を思いついたので購入したというのが本当のところではないだろうか。

 

 キライな人を好きになる努力はしない

自己啓発にハマっていた頃、私はどんな人でも好きになろうとしていた。どんなに嫌な人でもいつかわかりあえると信じていたが、そんなことが上手くいくはずもなく、常に対人的なことで頭を悩ませる毎日だった。もうその時の悩みやストレスの99%はそれだったと言っても過言ではないだろう。今考えると本当にアホだったと思う。

 

さいごに

そんな私も今はダメなものはダメ、合わないものは合わないと割りきって生きている。自分と合わないからと言って毛嫌いする必要はないが、特にこちらから仲良くしようとする必要もない・・・そんな風に生きているとあれほど私を悩ませていた対人的な悩みがウソのようになくなった。そもそも団体行動が苦手だし、そんな努力をしなくても合う人とは自然に分かり合えるようになるからね。