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自己啓発を今すぐやめよう!

自己啓発にのめり込んで人生をしくじった経験を教訓に、ゆるい生き方を実践中。日々のコトなど思いついたことを綴っています。

 

「みんな平等」という幻想が生み出す歪んだ格差社会

格差

 

つい先日のこと、仕事でお会いした年配の社長さんが「格差社会」について熱弁しておられた。彼は格差が開いていくことをかなり懸念されているようだったが、つい、我慢できずに「格差のない社会なんてないでしょう」と本当のコトを言ってしまった。だって彼の話を聞くの退屈だったから。

 

学校教育で植え付けられた「みんな平等」という価値観

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私もそうだったけど、学校に行くと当たり前のように「人はみんな平等」だと教えられる。それと同時にみんなと同じが正常で違うと異常という価値観も植え付けられるから、親に何かを買ってもらいたい時「〇〇くんも持ってる」などと、自分がもっていないのはおかしい的なお願いをしたものだ。今考えれば、変な理屈だよね、自分で言っといてなんだけど。 

 

 

 

学校制服は「みんな平等」を簡単に実現する舞台衣装

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そんな義務教育と切っても切り離せない「学生服」はみんなが同じ服を着ることで簡単に「みんな平等」を実現させる魔法のようなアイテムだ。戦後のモノがない時代なんかは特にお金持ちと庶民では著しく格差が開いていたから、生徒同士を平等にみせるために必要とされていたようだけど、どう考えてもこれって見せかけだけの「ニセ平等」だよね。

日本の学校は19世紀後半に制服を採用しました。和服より動きやすい洋服が必要だったからです。それで軍服をもとにデザインした男子の詰めえり、女子のセーラー服が定着しました。また当時の日本では、貧富の差が今より大きかったため、生徒同士を平等に見せるためにも、制服が必要とされました。

制服 ― 日本人に愛されるファッション|過去記事 | ひらがなタイムズ

 

「みんな平等」という価値観がもたらす劣等感

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「もともと格差はあって当たり前」そう思っていれば気にならないことも「みんな平等」という価値観を持っていると「なぜ、あの人だけが良い暮らしをしているのだ?」「同じ年齢なのになんであの人は高級外車に乗っているんだ?」などと、人を妬むようになる。最近は人の私生活を気軽に覗き見できるSNSの発達で、自分には直接関係ない人に対して見当違いの嫉妬をする人も増えているようだ。SNSのリア充アピールなんて本当かウソかわからないような投稿なのに・・。

 

格差がなくなると努力をしても報われない社会になる

「格差をなくす=弱者救済」というイメージで語られることが多いが、実は格差のない社会というのは弱者を救済する一方で、努力した人が報われない社会でもある。つまり毎日必死に努力して結果を出している人も、全く努力せず怠けている人も「みんな平等」に給料が支払われるってことになるのだ。しかし、弱者の救済はある意味、格差があるからこそ出来ることだ。お金のない人がお金のない人の面倒見ることなんてできないのだから。

  

さいごに

そもそも国や地域が違えば事情も違うから、「格差問題」は、ひとくくりで話すことのできない複雑な問題なのだが、少なくとも今、私たちに必要なのは、他人と自分を比べない価値観を持つことなのではないだろうか。そのためにはやはり「みんな平等」という幻想をどこかで断ち切る必要があると思うのだが、それにはまだ膨大な時間が必要なのかもしれない。